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春は夜でも花の香がする

こんな春の季節は

胸がくるしい

締めつけられるような

いたみに似てる


まるで秋の日のような


なつかしさ


はじめはそんな

期待はしてなかったと思う

けれどいつの間にか

待っている自分に気がつく

やっぱり

気のせいだったのかと


あ、わかった

きっとこのいたみに似た、

なつかしさは

寂しさなのだと

いま、気づいた



* * * *

最近知った歌。


”桐の葉も ふみ分けがたくなりにけり 必ず人を待つとならねど”


新古今和歌集にある、式子内親王の歌です。


なぜか自然に涙があふれそうになった。

秋の歌で、いまは春なれど

いにしえを歌っているのになぜか新しくかんじた。

むかしの人も、きっといまと変わらないのだと。

やはり寂しさとは美しさなのだと思った。









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# by kuroshiro_neko | 2017-04-18 00:37 | ギャラリーと詩集

春よ、来い!

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なにかが変わりはじめている。


それはあたらしい、希望というもののようだった。


希望はきっと扉のようなもので、


ほんとうに開こうとしなければ


開かない。


開こうと本気で行動すれば、


それは自然に向こうから開いてくれる。


それまでのわたしはムリやりこじ開ようとして、


手傷を負っていた。



もがいているひとへ。


春よ、来い。











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# by kuroshiro_neko | 2017-03-09 23:47 | ギャラリーと詩集

ごう慢な世代って?

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「ごう慢なシニア世代が増えている」


というのをテレビで見ましたけど、


きっかけは、新聞の投書で、


アルバイト中、客の中高年の女性から本人が悪いのにもかかわらず、


あやまりもせず、横柄な態度をされたという。


それを娘から聞いた母親が、いまは昔と違って、人手が少ないから


行き届かないこともある。


シニア世代にはそれをわかってほしい、ということだった。


テレビでは、シニア世代は、定年を迎えて


自分の思うようにいかないと かっとなる人が多いとか、


若者の方がそういうシニアの態度に敏感になりすぎてるとか。


ヒドイのはたしかだけど、どちらもそういう気がするような、気もするけど。


みなさんどう思います?


まーいろんな人がいるからねーと言っていた


司会者のことばにつきる気がします。


昔からそういう大人はけっこういたし、


我々のときは、なんかそういうのあたりまえというか、


あまり気にしなかった気がします。


大人はみーんな尊厳があり、学校の先生なんか威厳の象徴でしたもの。


だから、笑いながら平気で生徒を平手打ちするのが


日課になってる先生とか、なぜかいつも竹刀をもって授業する算数の先生とか、


今はたしかに、おかしくない?とか思うけど、当時はだれも文句はいいませんでした。


いまはモンスターなんとかとか、子供と一緒に先生を笑ってたりする


同世代の親をみると悲しくなります。


今の親世代の人たちは、自分の子供の言うこと優先で、


親の尊厳がなくなっているからかもしれないなとも思いました。


ちなみに”友だち(のような)親子”って、わたしはあまりいいとは思いません。


だからって厳しくいくんじゃなくて。


親子といえども、ある程度の距離感って大切だと思うのです。


いつの時代にも、上の世代は若者を非難するものだし、


若者もその考えに反発するものだということでしょうか。


いまは悪いものは悪いと発言する時代。


もしかしたら、みんながごう慢なのかも。












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# by kuroshiro_neko | 2017-01-31 23:59 | つぶやき

ひとのシアワセ

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ひとのシアワセ。

”まずは自分がしあわせにならないと、他人までもしあわせにできない”

っていう。

なんか、うーん、そうかなぁ?と思う。

ちがうとも言えないけど。

自分がしたことでひとが幸せに思ってくれたら、それは

ほんとに幸せって言える。

いつのまにか、こちらが幸せにされているようなこと。

わたしにとって幸福は相手がいてこそ

そう思えるもの。

ほんとうの幸せっていうのは

自分だけじゃならないから。


”ひとを幸せにしようと思うこと自体、おこがましい”っていう。

そうかな?

幸せって額にかかげておくような

大それたものよりも、

まいにちにの、みぢかなもののほうが、

ケッコウたいせつだったりするような気がします。

そう思うきもちが、ひとを、

まわりをハッピーにさせるんじゃないの?


”幸福”より、

”ハッピー”っていうくらい

軽いもののほうが

わたしにはたいせつな気がする。

自分もハッピー、まわりもハッピー。

そういうきもちがなければ、世界は幸福にはならない。










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# by kuroshiro_neko | 2017-01-21 23:59 | つぶやき

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2016年、年末です。

ぜんぜん、年末感なく。。

スマスマの最終回(録画したの)を観ながらこれを書いています。

やっぱり、Smapは最高。

懐かしさと、さびしさと、やはりあります。


なんだか今年は、とくに秋から怒涛のようにいろいろあって、

いまはなんだかわからない状況です。

進んだと思ったら戻されたり、振りまわされたような思いをしたり、

なにを信じていいかもわからず。

やっと海から上がってきたか、と思ったら、また

ちがうところに振り落とされて、深く潜り込んでしまったような。

まるで、引力と斥力の関係?とかというのでしょうか。



このブログを始めたのは約2年前。

最初は

2年経ってさほど今とあまりかわらなかったり、ブログしてても

読んでくれる人なかったらやめよう、と思っていました。

だけど、やっていくうちそれはおかしいかも、と思って。

だって頭で考えたり、心で感じることは日々生まれます。

それを止めるのはむずかしい。だって、生きているのですから。

やめるなんていうのはおかしなこと。

書きたくなったら、書けばいいんです。

自分のブログなんですから。



そんな2年間で、気づいたことがあります。

それは、ひとを救おうとして、

実は自分のほうが救われてた、ということ。

ひとを幸せにするつもりが

いつのまにか、自分が幸せにされてました。

これもほんと、人の世の常なのかもしれないですね。

それで自分の幸せの価値観が変わった。

そのほかにも不思議なこと、いっぱいありました。


わけわかんなくなってるときは。自分をあえて”引いて”見ること。

そうして見れば、自分がいかに些細であるかがわかります。

微塵、なのだなぁと思う。

宇宙には星や惑星があるけれど、わたしはそのまわりを漂う、塵なのだと。

でも、それは悲観して言っているのではありません。

塵、というけれどもちゃんと存在していて。質量をもつ。物体である。

それは生きているということです。塵の役目は意外と大切なんです。

塵は集まって星になることができるし、宇宙の核となる、起源ですからね。

むずかしいことはわからないけど、存在してていいということ。

誇りを持ってていいということ。

かたちはどうあれ、そこでの役目がある。

役目を全うしようじゃないか。いつかとか来世とか考えたくないし、

今の時代を生ききろうじゃないか。と思うのです。



今年はたくさんの音楽にこころ動かされました。

最近では、桑田佳祐の「君への手紙」にえらく感動して。

信じられないくらいたくさん泣きました。

さすがですよね。

人のこころのとらえかたを知ってる。


来年はたくさん、とくにjazz音楽に触れていきたいなぁ。

といっても新しいのではなく、往年の名曲とか、

やっぱり昔のものが好き。

新しいのも聴かねばならない?

IT難民?

いえいえ、いいんです!


こんな、つたないわたしの言葉にイイネしてくださったかた、

少しでも立ち寄ってくださったかた、ほんとうにどうもありがとう。

わたしはそれに救われました。ほんとうに。

お互い良い人生にしていきましょうね!


いまもずっとネコと音楽に癒される日々であります。

来年が、あなたにとって素晴らしい1年でありますように。








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# by kuroshiro_neko | 2016-12-31 22:23 | エッセイ

シロクロの絵とエッセイなど書いています。ブログ内で「アカリノムコウへ展」不定期開催中です。いつかギャラリーでも個展を開いてみたいてすね。
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