紅白玉入れ

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3歳の頃からの3年間、保育園に通っていた。
そこは十数年前にもう廃園になってしまったが、
第1、第2もあったのだろう、保育園という
立派な名称ではなく「第3保育所」という所だった。

その頃、私は活発な子供であった。
活発すぎたのか、常日ごろ保育士の先生に
叱られていた。
とくに他の子より頭一つ分、背が大きかったのも
あってか、目立って(そう思っていた)
何かにつけて率先して怒られていて、
かけっこをしては前にでて叱られ、お昼寝の時間には
寝ないで叱られ、その頃の記憶はそれしかない
くらいである。
とにかくもう、あまりに怒られていたので
小学校に上がるときに、
「今後の人生は目立たないよう、地味に生きよう」
と決めたのを覚えている。
今にして思うと先生もイライラしていたんだと思う。
子ども相手の職業だ。まして当時は今よりも女性
保育士さんがほとんどだったから、ウラではいろいろ
あっただろう。
こんな田舎ではそれが顕著だ。
オンナという生き物は恐ろしい。保育士であっても
先生であっても、主婦であっても、学生であっても
・・・オンナになってしまうと変わるのだ。


そんな子どもの日々を送っていた頃、保育所の運動会があり、
数日前に予行練習があった。
その日は玉入れ競争の練習で、外のお遊戯場にみんなで集まり、
先生の一人が大きなカゴを背負い、普段は国旗が掲げられている
ポールによじ登って、モンチッチのようにしがみつき、
そしてその先生のカゴめがけて玉を投げ入れる。

どうしてそんなことになったのか、子どもの私たちには不明
だが、多分カゴを掲げるものが他になかったのだろう。
練習だし、先生たちが輪になって決めたようだ。

いっせいに私たちは玉を投げ入れる。
地面に落ちた誰かのを拾い、投げる。
また誰かの落ちたのを拾い、また投げる。

私は何度投げても届かなかった。
カゴの手前で落ちてしまう。
私は投げる類が得意じゃないみたいで、小学校にいくよう
になってから、スポーツ測定でボールスローは、距離は忘れたが
いつも最下位だった。

どうしてもカゴに入れたいと思った私は、この一紅(白)玉に
渾身の力を込めて、振りかぶり、おもいっきり「エイ!」
と投げた。

しかし、また入らなかったのである。
私の渾身の玉は、カゴではなく、カゴを背負っている
先生の顔面にヒットしたのだった。


今でも、イタッ!といって歪んだ先生の顔を覚えている。


まだ紅白の玉が空に飛びかうなか、先生はすぐにポールから
下りてきた。
そして下りるなり物凄いケンマクで子どもたちを怒鳴りつけた。
「誰がやったの!!」
「わざとぶつけたんでしょう!」と。

子どもたちはそれまで楽しく玉入れをしていたが、
水を打ったように静まり動かなくなった。

私は・・・もー頭の中、大コンランである。
どうしよう、どうしよう、どうしよう〜〜と
体中の血という血が全部、足元から引いていき、
地面に流れていった。

名乗り出ようか、やめようか、・・・
普段から先生に怒られている私だ。
私だと知れば、わざとだと思われてしまうこと必至である。
そしてさらに先生は怒るんじゃなかろうか。
でも正直に言わないといけない・・・

ぐるぐる思い悩んで、感覚がない足を一歩出そうとした時、
先生はまだ怒り冷めやらないまま、踵を返し、
またポールによじ登っていった。


おもむろに玉入れ再開。


だけどそんな状況のあとである。
子どもたちは皆、特に私は、思いきり投げられるはずも
なく、一つもカゴに入らないまま、
先生に当てないよう、なんとも気をつかった
静かな玉入れの練習になった。


数日後、第3保育所の運動会が行われた。
当日の紅白玉入れ競争はというと、先生は背負わず、
ガゴだけ国旗掲揚のポールにある礎に置かれていた。






ちょっとカタコト(ちょっと語りますネ、ひとコト)

先生、あの時は本当にゴメンナサイ・・・

わざとでは、ありません。



























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by kuroshiro_neko | 2015-04-12 00:42 | エッセイ

シロクロの絵とエッセイなど書いています。ブログ内で「アカリノムコウへ展」不定期開催中です。いつかギャラリーでも個展を開いてみたいてすね。
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