タイゾーさんのこと

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戦場カメラマン、一ノ瀬泰造さんが亡くなったのは、

1973年11月27日だった。

現在では29日とされているが、

私は最初に知ったこの日が

なんとなく馴染み深い。


タイゾーさんは20代の私にかなり影響を与えた人だった。

生きていたら、間違いなく会いたかった人である。

彼が記した書簡本をいつもバックに忍ばせ、

何度となく読み返した。

そこで彼の語るカンボジアの風景、

カンボジアの人々に頭の中を巡らせ

彼のまっすぐな人柄、目のさめるような

行動力にこころ打たれた。

戦場を走りまわることが唯一としていた彼が、

いつしかアンコールワットを撮ることが夢となり、

それがいつしか私の夢となって、

自分も「アンコールワットが見たい、撮りたい!」

と思うようになっていった。



当時の私は仕事、私生活でいろいろ思うところがあり、

今考えると身体的にも精神的にもボロボロであったと思う。

30歳になる前に、どうしても行きたい。

そう思った。

私は明日の生活も顧みず仕事を辞め、

口座からほとんど全額おろし、一人

カンボジアへ向かったのである。


シェムリアップ空港に着いたときは

感動で言葉にならない。

シェムリアップの町、ぼくぼくの渇いた土の道、

水牛、ハンモックで寝る人、のどかな田園風景・・・

みなタイゾーさんが書いていた風景が

そこにあったのである。

私の目が、まるでタイゾーさんの目を通して

見ているように感じた不思議な感覚だった。

そして蝉の鳴く声。子供たち。

アンコールワットや遺跡群、

森、全てに感じた。

タイゾーさんはまだここにいるんだと。


タイゾーさんのことをもちろん非難する人もいる。

命知らず、無鉄砲。私もそう思う。

ましては近年、日本だけではなく

各国のたくさんのジャーナリストが

戦争で亡くなわれている。

でも私はこうも思うのだ。

彼の軌跡が残された家族や周りの人々の

心の支えになっていることも事実だった。

タイゾーさんの残したものは

写真だけではなかった。


タイゾーさんは村の人々を撮るとき、

初めにその人と会話してから撮るという。

また彼はこう記していた。

「棺桶に泣きすがる遺族の写真も、近くでアップには撮れません。

僕には。写真家失格かもしれませんね。」


一ノ瀬泰造さん 享年26歳。

あれからカンボジアも急激に成長、経済発展した。

彼の愛するカンボジアがそのままであってほしい、

早く戦争で命を落とす人がいなくなればいいと、

私は思う。

















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by kuroshiro_neko | 2015-11-27 23:59 | エッセイ

シロクロの絵とエッセイなど書いています。ブログ内で「アカリノムコウへ展」不定期開催中です。いつかギャラリーでも個展を開いてみたいてすね。
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