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2016年、年末です。

ぜんぜん、年末感なく。。

スマスマの最終回(録画したの)を観ながらこれを書いています。

やっぱり、Smapは最高。

懐かしさと、さびしさと、やはりあります。


なんだか今年は、とくに秋から怒涛のようにいろいろあって、

いまはなんだかわからない状況です。

進んだと思ったら戻されたり、振りまわされたような思いをしたり、

なにを信じていいかもわからず。

やっと海から上がってきたか、と思ったら、また

ちがうところに振り落とされて、深く潜り込んでしまったような。

まるで、引力と斥力の関係?とかというのでしょうか。



このブログを始めたのは約2年前。

最初は

2年経ってさほど今とあまりかわらなかったり、ブログしてても

読んでくれる人なかったらやめよう、と思っていました。

だけど、やっていくうちそれはおかしいかも、と思って。

だって頭で考えたり、心で感じることは日々生まれます。

それを止めるのはむずかしい。だって、生きているのですから。

やめるなんていうのはおかしなこと。

書きたくなったら、書けばいいんです。

自分のブログなんですから。



そんな2年間で、気づいたことがあります。

それは、ひとを救おうとして、

実は自分のほうが救われてた、ということ。

ひとを幸せにするつもりが

いつのまにか、自分が幸せにされてました。

これもほんと、人の世の常なのかもしれないですね。

それで自分の幸せの価値観が変わった。

そのほかにも不思議なこと、いっぱいありました。


わけわかんなくなってるときは。自分をあえて”引いて”見ること。

そうして見れば、自分がいかに些細であるかがわかります。

微塵、なのだなぁと思う。

宇宙には星や惑星があるけれど、わたしはそのまわりを漂う、塵なのだと。

でも、それは悲観して言っているのではありません。

塵、というけれどもちゃんと存在していて。質量をもつ。物体である。

それは生きているということです。塵の役目は意外と大切なんです。

塵は集まって星になることができるし、宇宙の核となる、起源ですからね。

むずかしいことはわからないけど、存在してていいということ。

誇りを持ってていいということ。

かたちはどうあれ、そこでの役目がある。

役目を全うしようじゃないか。いつかとか来世とか考えたくないし、

今の時代を生ききろうじゃないか。と思うのです。



今年はたくさんの音楽にこころ動かされました。

最近では、桑田佳祐の「君への手紙」にえらく感動して。

信じられないくらいたくさん泣きました。

さすがですよね。

人のこころのとらえかたを知ってる。


来年はたくさん、とくにjazz音楽に触れていきたいなぁ。

といっても新しいのではなく、往年の名曲とか、

やっぱり昔のものが好き。

新しいのも聴かねばならない?

IT難民?

いえいえ、いいんです!


こんな、つたないわたしの言葉にイイネしてくださったかた、

少しでも立ち寄ってくださったかた、ほんとうにどうもありがとう。

わたしはそれに救われました。ほんとうに。

お互い良い人生にしていきましょうね!


いまもずっとネコと音楽に癒される日々であります。

来年が、あなたにとって素晴らしい1年でありますように。








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by kuroshiro_neko | 2016-12-31 22:23 | エッセイ

シンディーシャーマン

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10月17日、

シンディーシャーマンが

高松宮殿下記念の世界文化賞、絵画部門を受賞しました。

初めてシンディーシャーマンの作品を見たのは、

20年くらい前、東京での回顧展でした。

それはもう、ものすごい衝撃でした。

それ以来、私は彼女の作品にとても憧れを抱いているし

尊敬しています。

自らを被写体に、いろんな人物に変装する彼女の写真。

自分を媒体にして表現するなんて!

ときにグロテスクに、ときに滑稽にも感じる、

「untitled」と題して魅せる表現は、まったく私の発想になく、

今までの価値観を変えるものでした。

しかも彼女はアシスタントも使わず、彼女ひとりで創っているとのこと。

本当に頭が下がります。


彼女の作品、特に最新作を見たいですね。

この受賞を機会にまた日本でも展覧会を開いて欲しいです。

ぜひ、お願いします!









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by kuroshiro_neko | 2016-10-20 23:31 | つぶやき

丁寧に生きる

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10月になりました。

またあの言葉を聞かなければなりません。

誰かが当たり前のように言う、あの言葉。

”あー今年もあと2ヶ月になっちゃったよ、あっはっはっは。”

・・・・



毎年のように、

年の節目にこの言葉を聞くと、ほんとやんなります。

あーまたか、と思うのです。

頼むからやめてほしいと土下座したくなります。

それとも、言ったら罰金制度にするとかしてほしいものです。

以前、この場所でも書いたことありましたが、

どうしてこのように面白がって言うのかわかりません。

わたしの日々を、雑に扱わないでほしいと思うのです。



人というものは雑に扱われるのを嫌うらしい。

それに雑に生きている人と一緒にいると

気がつかない間に染まってしまうらしい。

だから、あなたは雑に生きてるかもしれないけれど、

私は違うのよ、一緒にしないでほしいというわけですね。



丁寧に生きたいと思っている。

毎日を、毎時間を。

だから自分はちょっと面倒くさいことでも

ほんの少し頑張ってするようにしています。

たとえば、メールで問い合わせて解答をもらったとき、

そのままにしないでお礼の返信をするとか。

使ったものをちゃんともとの場所に戻すとか。

そうすれば必然と日々に光が見えてくる。

丁寧に、人に対しても、自分に対しても、丁寧に。










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by kuroshiro_neko | 2016-10-01 23:21 | エッセイ

過去は変えられる

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小説「マチネの終わりに」は、

平野啓一郎の最新作、

毎日新聞で連載されていた、

大人の恋愛小説である。

恋愛小説?

いや、これがだだの恋愛小説ではなかった。



平野啓一郎氏の文は、

やっぱり頭のいい人だなぁと思う文章で、

私には見たこともない漢字、表現がたくさんある。

なのになぜか、自分のなかで3代トップにはいるくらい、

文章が読みやすい。

読みやすいというのは、

たやすい、ということではなくて

あくもでも私にとって、

冒頭の一文から湯水のごとくに

すーっと文字が体に入ってきて(なんの抵抗なく読めて)、

知らぬ間に引き込まれてしまう夢中で読んでしまう)

という文章。

・・・不思議です。


物語は、蒔野聡史と小峰洋子の出会いから始まる。

この物語には、実際にモデルがいるという。

そこで初めに、きゅっと胸つかまれてしまった。


恋に落ちる。

運命の出会い。

惹かれ合う。

彼らには、どれもこんなありふれた表現では

軽いような気がする。

この二人は、理解するとか、通じ合う、とか

そんな言い方のほうがぴったり合う気がする。

お互いが初めて会ったときの感情。

それは、”理解されたという喜び”。

そしてそれから数年たって、

彼らが別の場所にいても同じことを

相手に思い、いだいている。


彼らは常に、時代の情勢のなかに身を置いている。

イラク紛争、アメリカのリーマンショック、

そして日本の東北大震災・・・。

そのなかで懸命に生きている。

この彼らの生き方が素晴らしい。

この物語が、ただの恋愛小説ではないという印象は

ここにある。

そして彼らが、40歳という

揺れ動く年齢の辺りだということ。

大人の彼らをとりまくさまざまな出来事は、

偶然ではなく、大人だからこそであった。

誰が悪い、いけないということではなく、

40代であれば、共感したり感銘したり

するようなことが多いのではないだろうか?

私はこの二人がとてもみじかに感じられた。

そして読み終えた後、彼らはお互いを思いやる、

優しいこころの持ち主だなと思った。


この本には序文があって、そこでは

彼らのことを二人の”生”という表現をしていた。

最初、私は”生き方”という意味かと思ったが、

運命あるいは軌跡かな、とも感じた。

二人の”生”はおかしいと思いながらも、

美しいと感じたという。

それは本当に美しく、綺麗だった。

美しさとは、寂しさのなかにあると

私は思う。

二人の間には、物語を通して、一本の線のように

音楽が通っている。

男性の蒔野は、クラシックギタリストということもあるが、

だからなのか、この小説は

音楽が流れるようにすうっと心に入り、余韻を与え続ける。

そこには美しさがあった。

物語の途中、我々は

この余韻を漂い続けていたいと思う。

先を読みたいと思う気持ちを持ちながら。

この小説は、大切に彼らの気持ちに沿い、

留まっていたいと思う、ここち良さがある。


ここにはあらゆる運命が書かれている。

彼らの出会いは、いわゆる運命なのだろうか。

いままで、赤い糸みたいな恋愛の運命って

どこか半信半疑なところがあったが、

人に限らず、物・事においても、

”理解する”、”通じ合う”とき、

それは、運命なのかもしれないと思う。


最後に、

この物語のなかで印象的な言葉がある。

”過去は変えられる”。

これは、彼らの最初の出会いのときに、

蒔野が言った言葉だ。

人は変えられるのは、未来だけだと思っている。

だけど、過去も常に未来を変えているのだ、と。

思わずはっとさせられた。

かつて自分の”過去が変わった”ときを思い出した。

そして、これからも変えていけると

背中を押された気がしたのである。
























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by kuroshiro_neko | 2016-09-19 23:54 | エッセイ

年齢的、ケンショウ炎?

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今日カープはどうなったんでしょうか?

気になってる。是非一度胴上げが見てみたいのです。


今日、仕事中ペンをとり、書こうとしたら

字が書けないことに気がついた。

書こうとするとズキッとかピキッとした痛みが

手首から手の甲に移り、力が入らない。


最近、仕事でも家でもPCと格闘してるから、

疲労でケンショウ炎にでもなったのだろうか?

実のところ前日からその前兆はあって

今日になって、急に深刻になってる。

まずいなぁと思いながら、

ミミズの這ったような字を書いたのだった。


家に帰ってすぐさま湿布を貼りながら、

やっぱり年齢的なものか・・・

という考えに行き着くのだが、

それにしても、普段のことが片手では

うまく行かないことに気づく。

車のキーを回すとき。

シートベルトしようとするとき。

食器を洗うとき。

手首って気がつかない間に、意外に

たくさん使っているんですね。

普段は左利きだからダイジョーブと思っていたのが、

最初の、新しいペットボトルの蓋を開けるとき。

決して片手だけでは開けられないのですよ!

ペットボトル本体を支えている右手(痛みがあるほうの手)に

力が入らず、痛いし開かないし、悪戦苦闘する。

両手、腹筋(体幹?)、脚の踏ん張り・・・等

で、このペットボトルの蓋は開けられているだとわかった。

理数系は、からきし脳がないのでわかりませんが、

物理的にはなんとかの方式とか作用とかありそう。


こういうとき、事故や生まれつきで、

片手のみで暮らしている人はやっぱりすごいな、と

思うのだった。

これは本当、凡人にはできない才能とか個性である。

たまに「五体満足で、比べたら自分は幸せと思わなきゃね。」

みたいな意見を聞くけど、

「どうして?」と思う。私はそう思ったことは一度もない。

だって、人は、誰だって苦しんだり、憂いたり、笑ったり、

一生懸命生きているのだから。


それにしても、

ほとほと身を大切にしようと思う、今日この頃です。

















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by kuroshiro_neko | 2016-09-10 23:05 | エッセイ

それでも、すすむ。

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40代にはいろいろ呼び方があるらしい。

アラフォーの次は、オーバーフォーティですか。

まー何はともあれ、いいことです。


今や遠い存在になりつつある、

”ケッコン”というワードであるが、

次にひょっこり近づきつつあるのは

”子ども”というワードであった。


この子どもというワード。

テレビや会話で話題に上がると、

決まって胸がチクリとするようになった。

世間において、ああ自分は

自然の摂理に反していると思う。

こういうときは、ふだん肩幅ひろい私も

肩身がせまくなるのだった。

結婚もしないで、子供も産まないということが、

私をそういう気持ちにさせている。

申し訳ない、エヘッ。

ぐらいになるまでには、

この先どのくらいかかるのだろう。

いや、そんなことあるのだろうか?


私のまわりには、望んでも恵まれず、

長年の不妊治療の末に子どもを諦めた方々が

たくさんいる。

だから、子どもはまわりが思ってるよりも

簡単に生まれないし、産めないことだとも

わかっている。

でも、本当に申し訳ないと思うときは、

孫が生まれたという話を、近所の人から親が

聞いているときである。

「いいわね~」とあいづちを打つ母親を見ると

胸がチクリとする。

ごめんね、お母さん。





























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by kuroshiro_neko | 2016-08-22 23:45 | エッセイ

おつかれさま。



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ビルとビルの谷間の

小さなオアシスに

風が吹いてる。

緑が風に揺れた。



こんばんは、おつかれさま。



ビルとビルの間から

黒い空と灰色の雲が

流れていくのを、

じっと眺めている。

都会の優しい風が、

耳元でつぶやく。

”私は孤独に生きる人の味方でもあるから”


今日も疲れたー。

今日も懸命に生きた。


おかえりなさい、おつかれさま。













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by kuroshiro_neko | 2016-08-14 23:45 | つぶやき

ホメコトバのようで

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オンナの会話で、一度は

耳にしたことがあるのではないだろうか。


”あの人、年のわりにはキレイだよね。”

”あの人、若い時は美人だったと思う。”


コレって、一瞬、ホメテいるように聞こえるけど、

よっく聞いてみると、ぜんぜんホメテないからね。


”年のわりに”とか、

”若い時は”とか、

実は否定的なコトバがまぎれこんでいるのに、

最後の”キレイ”とか”美人”で

前のコトバが帳消しになってる。

なんとなく聞こえが良くなっているだけである。


これは、かなり上から目線のコトバであるうえ、

端々にオンナの妬みやらヒガミやら

チクリチクリ、かくれていて、

それはそれは、おそろしい言葉である。


ちなみに、これが地方の場合は、

”このへんの田舎にしては~”と言う。


うーん。

なんか、普通に”あの人きれいだよね”って

言えば良いのに。と思うのは

本末転倒かしら・・・。


たぶん、誰かに、そう言うことによって、

自分を優位にしたいのだと思う。

その人よりも、キレイじゃない自分を認めたくない。

ワタシはそんなことに許容するヨユーがあるのだ、と。


でもそういうのを男性諸君はカワイイと思うかもしれない。


女性には、信じられないけど。













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by kuroshiro_neko | 2016-08-13 22:59 | エッセイ

「楽しいね。」

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アクセサリー店にいると、

若い20代の女の子のふたり組がいた。

ちょうど私のとなりにきてピアス~イヤリングを

キャッキャと見ている。

しばらくして、私は店を出ようと、

まだあちこち眺めながら、出口に向かっていると、

さっきの女の子たちも出ようとしていて、

ちょうど私の後ろから追い抜いていった。

そのとき、女の子が店を去りながら、

こんなことを言っていた。


「楽しいね。」


この言葉に、私ははっとし、

胸がきゅんとなってしまった。

楽しいねってわざわざ言葉にして言うのって、いいなと思う。

何か買ったわけではないのに、嬉しそうで、

まわりのアクセサリーみたいに

キラキラしている。

ほんとに楽しそうだった。


この前行った、ライブコンサートでも

後ろに座っていた女の子が、

「かっこいいね。」

って話しているのが聞こえたとき、

私も心の中で、うんうん、かっこいいよねーと

頷いていた。

思わず振り向いて言いそうになるくらい、

素敵な言葉だと思った。


なぜか、自分のことじゃないのに嬉しくなる。

きっと私も同じ気持ち、そう思ったから。


私はあの日、あの店で、見ているだけで

楽しかった。

もう、あの娘たちより倍は

年をとっている(であろう)ので

してないが、実はキャッキャしていた。


あの言葉でさらに、おばさんも、じゃなかった、

おねえさんも楽しくなったぞ。

















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by kuroshiro_neko | 2016-07-24 22:56 | エッセイ

だれかの誕生日

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誰も誕生日を祝ってくれなかった、と

すごく腹を立てているひとがいたけれど、

その人はきっと去年までは

ちゃんとみんなに祝ってもらっていたんだね、

と思ってすごく幸せなひとなんだなーと思う。


すんごくくだらないことで

腹を立てたりケンカする夫婦は、

幸せなんだよなぁ。

ほんとみんな気がつかないものなんだなと

思うね。

何も持ってない自分のほうが、持ってるひとより

はっきりわかるっていうのは不思議なもんです。



誕生日には自殺者が増加するという。

誕生日のあと

飲んだグラス、食べ残しの器、

人のいた気配。

すべて切なくさせる。

今、どうして一人なの?

誕生日なのに、どうしてこんなにひとり?

それが誕生日がかなしい理由。

それとも、さっきのひとみたいに

誰も祝ってくれないからかな。


このトシになると

誕生日を祝ってくれても

あまり楽しくない。

そりゃありがたいし嬉しいけど。

ちょっと違うんです。

なんかハッピーじゃないんです。

そういうときは

誰かになにかをする。

たとえば友人に会いに行く。

その子供たちにお菓子をあげる。

親にちょっとしたものをプレゼントする。

そうして喜んでくれたら本気で嬉しい。

ワタシちょっと今日まで

生きててよかったと思うくらい、

自分でもびっくりするくらい

嬉しい。















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by kuroshiro_neko | 2016-06-30 23:45 | エッセイ

シロクロの絵とエッセイなど書いています。ブログ内で「アカリノムコウへ展」不定期開催中です。いつかギャラリーでも個展を開いてみたいてすね。
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