過去は変えられる

c0355643_21402044.jpg




小説「マチネの終わりに」は、

平野啓一郎の最新作、

毎日新聞で連載されていた、

大人の恋愛小説である。

恋愛小説?

いや、これがだだの恋愛小説ではなかった。



平野啓一郎氏の文は、

やっぱり頭のいい人だなぁと思う文章で、

私には見たこともない漢字、表現がたくさんある。

なのになぜか、自分のなかで3代トップにはいるくらい、

文章が読みやすい。

読みやすいというのは、

たやすい、ということではなくて

あくもでも私にとって、

冒頭の一文から湯水のごとくに

すーっと文字が体に入ってきて(なんの抵抗なく読めて)、

知らぬ間に引き込まれてしまう夢中で読んでしまう)

という文章。

・・・不思議です。


物語は、蒔野聡史と小峰洋子の出会いから始まる。

この物語には、実際にモデルがいるという。

そこで初めに、きゅっと胸つかまれてしまった。


恋に落ちる。

運命の出会い。

惹かれ合う。

彼らには、どれもこんなありふれた表現では

軽いような気がする。

この二人は、理解するとか、通じ合う、とか

そんな言い方のほうがぴったり合う気がする。

お互いが初めて会ったときの感情。

それは、”理解されたという喜び”。

そしてそれから数年たって、

彼らが別の場所にいても同じことを

相手に思い、いだいている。


彼らは常に、時代の情勢のなかに身を置いている。

イラク紛争、アメリカのリーマンショック、

そして日本の東北大震災・・・。

そのなかで懸命に生きている。

この彼らの生き方が素晴らしい。

この物語が、ただの恋愛小説ではないという印象は

ここにある。

そして彼らが、40歳という

揺れ動く年齢の辺りだということ。

大人の彼らをとりまくさまざまな出来事は、

偶然ではなく、大人だからこそであった。

誰が悪い、いけないということではなく、

40代であれば、共感したり感銘したり

するようなことが多いのではないだろうか?

私はこの二人がとてもみじかに感じられた。

そして読み終えた後、彼らはお互いを思いやる、

優しいこころの持ち主だなと思った。


この本には序文があって、そこでは

彼らのことを二人の”生”という表現をしていた。

最初、私は”生き方”という意味かと思ったが、

運命あるいは軌跡かな、とも感じた。

二人の”生”はおかしいと思いながらも、

美しいと感じたという。

それは本当に美しく、綺麗だった。

美しさとは、寂しさのなかにあると

私は思う。

二人の間には、物語を通して、一本の線のように

音楽が通っている。

男性の蒔野は、クラシックギタリストということもあるが、

だからなのか、この小説は

音楽が流れるようにすうっと心に入り、余韻を与え続ける。

そこには美しさがあった。

物語の途中、我々は

この余韻を漂い続けていたいと思う。

先を読みたいと思う気持ちを持ちながら。

この小説は、大切に彼らの気持ちに沿い、

留まっていたいと思う、ここち良さがある。


ここにはあらゆる運命が書かれている。

彼らの出会いは、いわゆる運命なのだろうか。

いままで、赤い糸みたいな恋愛の運命って

どこか半信半疑なところがあったが、

人に限らず、物・事においても、

”理解する”、”通じ合う”とき、

それは、運命なのかもしれないと思う。


最後に、

この物語のなかで印象的な言葉がある。

”過去は変えられる”。

これは、彼らの最初の出会いのときに、

蒔野が言った言葉だ。

人は変えられるのは、未来だけだと思っている。

だけど、過去も常に未来を変えているのだ、と。

思わずはっとさせられた。

かつて自分の”過去が変わった”ときを思い出した。

そして、これからも変えていけると

背中を押された気がしたのである。
























[PR]
by kuroshiro_neko | 2016-09-19 23:54 | エッセイ

c0355643_22110974.jpg


大人になって「智恵子抄」を読む。

「智恵子抄」は学校の教材になるくらい

有名な高村光太郎の詩集だ。

こどものころは

単なる恋愛ものだと思って

敬遠していたけど、

読んでみて、すごい鮮烈だった。

果たして10代のころに読んでいたら

理解できただろうか。

全体を散文のように綴られている。

これは智恵子さんへのラブレターである。


それにしても、読んでいると

この高村光太郎という人は

つくづく才能がある人だなぁと思う。


超有名な「レモン哀歌」

”あなたのきれいな歯がガリリと噛んだ”

なんて、色彩どころか香りまで鮮明に、

最期の一瞬一瞬が浮かんでくる。

海ではしゃぐ智恵子を思う詩は、

映画の1シーンのようで、

淡い記憶の中の幻想のようで切ない。


”いやなんです あなたがいつてしまふのが”

で始まる詩は、まさに公の場を使った告白だし、

直接言われるより、紙面で読んだら

そりゃあ、見合いなんてやめて戻りますよ。


読んでみようと思ったのは

昨年この二人、とくに

智恵子にスポットをあてた

テレビ番組を各局で放送していて、

今まで全く知らなかった

高村智恵子という、

一人の女性芸術家を知ったからだ。


智恵子さんは、絵を学ぶため

親の反対を押し切り家を出る。

油絵を学ぶが、

教室に女性は自分一人だけ。

女は嫁に行くものという時代だ。

そうしたなか、高村光太郎と出会い

一緒に暮らし始めるが、

だんだん自分の中で葛藤が生まれ

精神世界の中へ行ってしまう。


かたや、英国に留学経験ありの

芸術、文学にも多才な一目置かれる存在。

かたや、コンクールに落選続きの

肩書きも仕事もない自分。

それに、パートナーといっても

自分は女だから、多忙な光太郎に代わって

一切の家事は請け負う。

やっぱりそうなってしまう。

芸術に没頭できない葛藤。

比較してしまう葛藤。



たぶん、こんな非凡な人と一緒にいたら、

私も智恵子さんと同じように

なるんじゃないか、と思った。

自分を責めて、自分はなんて凡人だ、

どうして才能がないんだとか、

終いに自分を価値がない存在に思って、

殻のなかにとじこもって

しまうかもしれない、と。

あまりにも自分にはないものを

たくさん持っていて、

嫉妬する。

私って嫌な人間だ。

たぶん智恵子さんも

こんな気持ちになったのではないか。



彼女の死のあと、

晩年の光太郎は街を離れ、

山の中の家でひとり暮らし始める。

近所の人が、おひとりでさびしくないですか、と

尋ねると、こう答えたという。

「智恵さんが(心の中に)いますから。」


精神世界の、またその先の遠くへ

行ってしまったけれど、

智恵子さんは高村光太郎に

とてもとても愛されていた。

それがとても素敵で哀しく、

そして羨ましく思う二人だった。








[PR]
by kuroshiro_neko | 2016-01-27 22:22 | エッセイ

コトバの力

c0355643_22554824.jpeg



最近、篠田桃紅さんの本を読みました。

大変失礼ながら最近まで存じ上げませんでした。

その少し前にETV特集で観て、もう最後のほうでしたが、

素敵な人だなーと思っていたところ

偶然にも彼女の本を図書館で見つけました。

それは、

「百歳の力」(集英社新書)


すごく潔くて率直で、心(しん)が強くブレない人。

それがとても女性らしいなと思って

素敵だと思いました。


彼女の子ども時代、

戦争体験や何度も死にかけたこと、

または結婚観、創作することについて、

すべて興味深く

するする読んでしまった。

というか話を聞いた感じでした。

この文章、会話方式になっているのも

篠田さんの言葉が心地よく響き、良かった。


この本で特に印象に残ったこと。

”性格が運命をつくる”という、

もとは芥川龍之介の言葉ということ

なんですが、

「運命が性格をつくるんじゃない」

「性格の中に運命はある。」

ということ。


周りの環境や、幼い頃からの境遇によって

性格って変わるものだと思っていましたが、

よく考えると、もともと本人が

持って生まれた性格なんだなと思う。

その性格が本人の運命を引き起こしている。

よく映画の予告なんかで、運命に翻弄された二人とか

時代に翻弄された~なんとか

というのがありますが、それは違うのかも。


わたしが読んだのは去年の著書でしたが、

篠田桃紅さんは今年のベストセラーに

入っているほどの方だったのですね。

それを知るとやはり人々は

だれかの、特に先をゆく人の言葉を

聞きたがっているんだなと思いました。

何か生きるヒントというか

そういうものが欲しいのだと。

みんなけっこう悩んでる。

わたしは最近まで

言葉なんて余計なものだと、

重要視していませんでした。

だけど今はけっこう大切なときもある、

と考えるようになりました。













[PR]
by kuroshiro_neko | 2015-12-04 23:09 | つぶやき

タイゾーさんのこと

c0355643_21372014.jpeg





戦場カメラマン、一ノ瀬泰造さんが亡くなったのは、

1973年11月27日だった。

現在では29日とされているが、

私は最初に知ったこの日が

なんとなく馴染み深い。


タイゾーさんは20代の私にかなり影響を与えた人だった。

生きていたら、間違いなく会いたかった人である。

彼が記した書簡本をいつもバックに忍ばせ、

何度となく読み返した。

そこで彼の語るカンボジアの風景、

カンボジアの人々に頭の中を巡らせ

彼のまっすぐな人柄、目のさめるような

行動力にこころ打たれた。

戦場を走りまわることが唯一としていた彼が、

いつしかアンコールワットを撮ることが夢となり、

それがいつしか私の夢となって、

自分も「アンコールワットが見たい、撮りたい!」

と思うようになっていった。



当時の私は仕事、私生活でいろいろ思うところがあり、

今考えると身体的にも精神的にもボロボロであったと思う。

30歳になる前に、どうしても行きたい。

そう思った。

私は明日の生活も顧みず仕事を辞め、

口座からほとんど全額おろし、一人

カンボジアへ向かったのである。


シェムリアップ空港に着いたときは

感動で言葉にならない。

シェムリアップの町、ぼくぼくの渇いた土の道、

水牛、ハンモックで寝る人、のどかな田園風景・・・

みなタイゾーさんが書いていた風景が

そこにあったのである。

私の目が、まるでタイゾーさんの目を通して

見ているように感じた不思議な感覚だった。

そして蝉の鳴く声。子供たち。

アンコールワットや遺跡群、

森、全てに感じた。

タイゾーさんはまだここにいるんだと。


タイゾーさんのことをもちろん非難する人もいる。

命知らず、無鉄砲。私もそう思う。

ましては近年、日本だけではなく

各国のたくさんのジャーナリストが

戦争で亡くなわれている。

でも私はこうも思うのだ。

彼の軌跡が残された家族や周りの人々の

心の支えになっていることも事実だった。

タイゾーさんの残したものは

写真だけではなかった。


タイゾーさんは村の人々を撮るとき、

初めにその人と会話してから撮るという。

また彼はこう記していた。

「棺桶に泣きすがる遺族の写真も、近くでアップには撮れません。

僕には。写真家失格かもしれませんね。」


一ノ瀬泰造さん 享年26歳。

あれからカンボジアも急激に成長、経済発展した。

彼の愛するカンボジアがそのままであってほしい、

早く戦争で命を落とす人がいなくなればいいと、

私は思う。

















[PR]
by kuroshiro_neko | 2015-11-27 23:59 | エッセイ

c0355643_16211861.jpeg

(つづき)

原田氏のエッセイは、公共の場、例えば通勤・通学の

電車の中や病院等では、決して読んではいけない、という

ファンは誰しも知っている掟(おきて)がある。

そういうのは、みんな経験上、身に付いたわけである。

うっかり読んでしまうものなら、笑いを我慢できずに

アヤシイ人となってまわりの人に奇怪な目で見られてしまう。

これは、おおげさに述べているのではない。

そう、私もうっかり経験済みだからである。


氏の「27」には、注意事項としてこう書かれている。


「本書には噴飯成分が含まれております。

お食事中のご一読はできるだけお控えください。

また、牛乳を飲んでいる人の背後での朗読も

お勧めできません。(中略)電車内やスカした喫茶店内、

・・・葬儀の最中、恋人との別れ話の前、肉体の手術中等

(中略)でのご一読は、絶対に避けてください。

大変なことになります。」


これらを読んで、

「そんなおおげさな」

「自分は絶対にない」

と思う方は、一度試しに読んでみてほしい。

くれぐれも言っておくが、まわりに人がいる場所では

やめておいた方がいい


原田氏は多数エッセイを書いているが、小説も書いている。

どちらかというと私はこっちの方が好きかもしれない。

ふだん小説は苦手なのだが、彼のはすらり読めてしまう。

じんわりと心に残る、とても素敵な話で、

エッセイが冴えない中二病の少年だとしたら、

小説はしめっぽい、色気をおびた二枚目になる。

タイトルも素敵だ。

正直、当時の私はタイトルに惹かれて

即購入してしまった。

まだ読んでいないものがたくさんあるので、

また読んでみたいと思っている。


ところで、「27」には他にこうも書かれてあった。


「本書は、原田の血と汗と涙が少量ながら含まれておりますので

一読後に火中へ投じたり、燃えるゴミとして道端に放り出したり

(中略)しないで下さい。呪われる場合があります。」


信じたわけではないが、半分嘘でもない気がして

部屋の隅に置いてあるダンボールの箱をみてしまう。

・・・んもう、本当にやんなっちゃうのである。


















[PR]
by kuroshiro_neko | 2015-06-23 22:19 | エッセイ

c0355643_16214036.jpeg

今年も雨の季節だ。

ジメジメは、時にイライラさせる。

気分的に良くないし、いつでも眠くなってしまう。(これはいつもだが)

なのでここで書いている文章もぐずついてるような気がする。

なんかまとまらない。(これもいつもだ)


3日も雨が続いた日は、イライラが最高潮に達し、

私は部屋の片付けを始める。

これを、ちょっと古いが、仕分け作業と呼んでいる。

自分の中の回路がプツンと切れたみたいに、

突然始まってしまうのだ。

時に真夜中に、明日仕事だというのに。


だが、これはいつもであれば、の話だった。

今年はちょっと違うのである。

梅雨入りから梅雨が嫌いじゃなくなっている。


薄々と白く広がった空に、鈍色の雲が重たく流れている。

どこからか、栗の花粉のむっとする匂いがして、

「あぁ、梅雨がきたんだな」と思う。

いつもの通りにはもう、立葵の花がカラフルに咲いていて、

毎年見ている風景なのに、今年は梅雨も悪くないな、

と思ってしまう。

ちょっと大人になったせいだろうか?


それに今年は例の真夜中の仕分け作業も、実は

春先にとうに済んでいた。

今回はダンボール3箱の中に、だいたいは

仕分け対象の文庫本やCDが入っていて、

静かに処分を待っているのだった。


そうして6月。

仕分け終えてから1ヶ月以上経つのに、

未だそのままになっているのはちょっと理由がある。

私はその昔、非常に狭い4畳半の部屋に住んでいたため、

持ち物をなるべく持たない暮らしをしていた。

もちろん経済的なこともあって、本に限らず、CDでも服でも、

なんでも厳選して厳選して、買うくせがついていた。

そんなミニマム調は昔と比べてだいぶ薄らいだが、

今でも商品片手に2、30分悩んでしまい、はっと気がつくと

店員さんが隣にきていて、こっちの様子を伺っていた、なんて

ことがしょっちゅうある。

そんなふうにして買った物だから愛着はあるが、それでも

部屋の許容域があるので手放すときはせっぱ詰まって潔くなる。

しかし、なぜか本に関しては潔くなれない。

申し訳なく、悪い事してるみたいになる。


それからもう一つ、先日本棚の中から不意に一冊手に取ったら、

原田宗典のエッセイがあった。

自分でもすっかり忘れていたが、私はかなり原田氏のエッセイを持っていて、

春の仕分けのとき、もうずいぶん読んでいなかったし、

これはと思うものを数冊残して、あとはダンボールに入れたのだった。


それにしても、20代の頃、確かにお金もないのに

よく買ったものだなぁとちょっと驚いた。

今もさほど変わりはしないが、すべて文庫本だったので

少しでも安く買おうとしていたのだろうと思う。

本棚の前で、仕分け作業としてはルール違反なのだが、

ぱらっとページをめくってみたら、数秒で笑ってしまった。

声を出して笑うなんてことは、このエッセイしか覚えがない。

 

                       (つづく)


[PR]
by kuroshiro_neko | 2015-06-21 16:51 | エッセイ

シロクロの絵とエッセイなど書いています。ブログ内で「アカリノムコウへ展」不定期開催中です。いつかギャラリーでも個展を開いてみたいてすね。
S M T W T F S
1 2 3 4 5 6
7 8 9 10 11 12 13
14 15 16 17 18 19 20
21 22 23 24 25 26 27
28 29 30 31